ケ・サラ・サラ

生活の記録

生活を意識した。

生活をしている。ふとそう思った。わたしには暮らしというより生活、暮らすというより生活をする…の方がしっくりくるなと。わたしの生活を暮らしという言葉を使って表すと、雑なとか慌ただしいとか決して丁寧ではないとか…になるけど、生活はすごいぞ。生きるための活動だ。すでにめちゃくちゃ前向き。わたしの日々は生きるための活動だ。毎日生きるために活動している。生活ってしみじみ良い言葉じゃん…と生活するために乗った朝の満員電車の中で考えた。

 

生活とは基本的に、命をつなぎ活動することであり、また生きながらえるために行う様々な活動である。 人は生き続けるためには、少なくとも、何らかの栄養を取らなければならず、(一般に)身体に何かをまとうことで体温を保つ必要があり、また野の雨や風をしのげる場所で眠りをとることを必要とする。つまり食べること、着ること、住まうことである。日本では、そうした生活の基本を漢字で簡潔に表現しようとする時は「衣食住」(いしょくじゅう)などと表現する。「衣食住」の基本は、人が生活していく上で必要な、食(食事)、衣(衣服)、住(居住、雨風をしのげる寝場所)の確保である。

Wikipediaより

 

貧血の経過観察で病院へ。無機質な冷たい椅子に座って検査のための血液を採取される。1時間ほど待って診察。先生がわたしの不足している血液の成分をお金に置き換えて説明してくれた。「現金は少し増える傾向に向かっていますが、貯金はまだ全然なくて、この貯金部分を増やしていくことが大切です」(おっしゃる通りです先生!貯金が全然ありません!!こんなに働いてるのに…)と思いながら聞いていた。12月からいろいろ検査を進めましょうと言うのに、曖昧に返事をしていたら先生が即座に予約を入れていた。

 

遅れて出社。繰り越し繰り越しできた仕事を集中して片付けた。終わりが見えてくると気分が良い。今週は少し落ち着いてやっていけるといいな。と言ってももう週の後半に差し掛かっている。しかも気づけば11月も終わりの頃ではないか。速。そしてここからさらに加速することもわかっていて、それならそれで早く新しい年になればいいという気持ち。

 

ジムは3本立ての日。とても可愛らしく気持ちのこもったレッスンをしてくれるインストラクターさんがいる。長年の夢に向かって進むということで今月末で退職することが決まっていて、レッスンにはあと何回と名残惜しく彼女のファンたちが集っている。レッスンの始まりに、今日を入れてあと2回と挨拶があった。さらっと終わりにして去っていくことも出来るだろうに、言葉を選んで感謝の気持ちを伝えていて誠実さが尊い。レッスンが終わって、来週が最後と話している声が涙声になり、みんなで力一杯拍手した。来週の最後のレッスンは全員泣いちゃうのでは…。

 

帰宅して遅い晩ごはんにオムライスを作った。フライパンで3人分を卵でくるんでお皿にのせたら、ものすごい高さのオムライスが出来上がる。夫はジムの前に食事を済ませていて、わたしがほんの少しつまんで、2.5人分を息子が食べ切っていて、若さがすごい。食べきれなかったら残してねといいかけた時には半分以上なくなっていた。

 

お風呂に入って、ジムの激しいワークアウト前におしゃべりしていてストレッチが不十分だったことを反省しながらリリースローラーでふくらはぎをマッサージした。そのまま寝落ちしそうになるのをなんとかベッドまでたどり着く。

今日も淡々と生きるための活動をした。お疲れわたし。