ケ・サラ・サラ

腹筋4つでゴール

離れて暮らす父、肺の影、脳、急展開の奇跡 その1

「あのね、パパ、今3000円のステーキ弁当を食べ終わったところ。。ふふ。。お祝いに!そういうことだから!!」

 

4月25日木曜日。これまで父が受けたすべての検査の結果が出る日、これからの見通しがわかる日。朝から緊張して待っていた父からの電話の第一声がこれだった。

奇跡が起きた。

すべてが杞憂に終わった。杞憂どころの話ではない。これは…あれだ…逆バンジーだ。

 

***

4月16日。父から電話。ゆっくり話せるところにいるかという問いかけに身構える。交通事故で搬送された病院で全身をくまなく調べたところ肺に影が複数見つかった。明日からの検査入院が決まった。既に受けたMRIの結果でステージⅢくらいと医師から聞いた。パパは結構達観しててそんなショックでもないわけと言う。でも先生が家族を交え話をしたいからと言ったから、申し訳ないけど帰ってきてほしいとのこと。

 

えええええええー。情報量多すぎ。影?ステージⅢ?くらいとは?慌てふためいて事故のことはスルーしてしまう。

 

4月18日。帰省した当日、父の主治医に私ひとりが呼び出され、ちょっと気になることとしてはとか恐らくとか検査の結果が出てからまた改めてお話することになりますが…などなどの前置きの後、父の余命が3ヶ月から半年である可能性が高いと告げられた。肺がんはステージⅣ、加えて脳への転移の兆候があるらしい。

突然過ぎてなんの感情もなかった。私に心配させまいとステージⅢくらいと言ったんだな…くらいか…父らしいなと思っただけだった。

父はその日の検査の薬が効いてすやすや眠っていた。

 

と、唐突すぎるでしょ。3ヶ月って何よ。

 

持病の糖尿病とゆるく長くつきあいながら暮らしている父は、こまめに病院へ通い、健康診断も定期的に、去年は脳ドックも受けた。どの検査も良好で健康だから心配なくと父はいつも上機嫌だった。

病院についたときもベッドの上の父は顔色も良く力のある大きな声で、先生が家族を呼んでって言うんだよね、忙しいのに悪かったねと言った。

 

こんなに元気そうなのに、そんなことある???そんな3ヶ月後ってすぐじゃん。夏の始まりじゃん。こんなハツラツとしてて、急に変わるわけ???

 

どうしても信じられなかった。これからの治療や転院のことなど調べなければならないことは山のようにあるけど信じられなさが勝っていてその日も次の日もほとんど何もできなかった。大病に冒されてる(らしい)父の前で普通にしているだけで精一杯だった。

 

4月20日。一番気がかりだった脳の検査の内容を大学病院へ送った結果を受けて、医師からの説明を聞く。結果次第ではそのまま引続き入院になるらしい。

既に芳しくない話をされている私は、最悪の結果を告げられた時に父がどう感じるのか、なんと声をかければいいのか朝から落ち着かなかった。

 

部屋に通された。脳の方は心配するに及ばずという専門の医師の所見を見せてもらった。私はほっとする余り無になっていた。

余命が延びた。

肺がんについてはMRIでは4箇所にがんの疑いがあり、大きさから判断すると手術は難しいという説明の後、更に詳細な診断ができる専門の機関を紹介された。確定診断はそちらでの検査結果をもって25日にという話だった。

 

とりあえず脳の問題がクリアになった。退院することが決まって私たちは肉だ!今すぐ肉を食うぞ!と焼肉屋に向かった。余命3ヶ月の不安が取り除かれて肉を食べながら少し泣いた。

それにしても父の食欲だ。カルビ、ロース、ホルモンと豪快に食べる父を目の当たりにし、私は混乱していた。このひとが?ステージⅣ?

 

実家に戻り、緊張がほぐれそのまま6時間気を失うように眠ってしまった。夜遅く一旦目が覚めたらテーブルの上にフルーツの盛り合わせとお寿司が並んでいた。

 

21日。日曜日昼の便のチケットを取っていた。パパひとりで大丈夫だから、先生から言われたことをそのまますぐに電話して伝えるから、今はうし子にしてもらうことはないから一旦帰ってと言われ、後ろ髪を鷲づかみにされながら空港へ向かった。

検査したら良性でしたってなるかもしれないじゃないととにかく前向きな父はにこやかに見送ってくれた。

 

自宅に戻り、とりあえず調べられることは全部調べ、休んだ分山積みの仕事の合間に病院やがん相談センター、 区役所や福祉センターの相談窓口に問い合わせた。

とにかく25日だ。元気でポジティブな父を信じようと心に決めた。なるべく普段どおりでいよう。落ち込んではいられない。体力だ。不安にとらわれそうになるのを阻止したくてジムにも行った。濃い霧の中、強い気持ちでいつもの私を続けた。自分を奮い立たせるのに忙しかった。