今からサラリ堂

ジムとプールと英語とごはん

思い出すけど思い出ではない子育て

育休から復帰した母と子くらい年齢の差があるお嬢さんと話す機会が割とあります。母と子くらい年の差はあるけど同じ職場で一緒に仕事をしているので本当の年の差程の隔たりはなく、子の年齢は違うけど同じ母としてという不思議な距離感です。

お子さんは1歳の男の子。1歳の子の母からすると大学生の息子とその母なんて果てしなく遠い未来、エピソードも別の次元で起きてることとして聞いていると思います。私もそうでした。2歳の年の差も大きく感じていました。子供の年齢が低ければ低いほど、今・この時こそ!しか興味がなかったなあと思い出されます。

逆に子供が大きくなると、母というのはいつでもその頃に戻れるってこと。リアルが地続きであることを実感します。いつの頃の出来事も生生しく鮮明で、タイムマシンに乗るみたいに時空を超えてそこに戻り、その頃の揺れや心の襞までもを鮮明にまざまざと感じることができます。

 

すべてをゆだねて甘えて抱っこと伸ばす手や、寝入りばなの頭に広がる汗の玉、つかの間の平和を感じる深い寝息。そんな多幸感とは真逆な、でも確実に横並びにあったやるせない気持ち、焦りや孤独畏れ、苦しさ心許なさもありありと忘れられず、不安定だった頃の自分の亡霊がすぐそばに佇んでいるようです。

 

同じ職場のお嬢さんの子育ての話を聞いていると、今はそうなんだ、若い世代の子育ては良いなと感じることも多くあるけど、いつかの自分とまるで同じように悩んでることも伝わってきたりします。ふんふんと話を聞いてるうちにだんだんと愚痴になったりもしますが、もし相談されればそのときは違うけど、普段のおしゃべりに助言のニュアンスがなるべく入らないように、直接的なアドバイスめいた事もなるべく言わないようにしています。同意も否定もせずに遮らないで耳を傾けるように努めてそうやっています。

あの頃私が誰かにしてもらいたかったように、そうなれればいいなと思って。実際の私はそうしてもらいたいという自覚はその渦中にはなく、後からそうだったなあと思い当たってますます自分のことが不憫になったりしました。道理で誰とも話したくなかったわけだとほんとに時間が経ってから気づきました。

 

今の私にできるのは、今の私が楽しそうで元気があること。親子ほど年の差があっても同じように働いていて、まだまだ息子は可愛くて、仲良くしてて

自分のいつか先に光が広がってるように感じられること、針の先ほどでも私からそういうイメージがにじみ出ていたらいいなと、そう思って過ごすことかなと思っています。少し遠回りなアプローチだけど。

 

そうは思っていてもたまに自分の亡霊に出くわすわけで、まだいるかと私が一番驚きますけど。ちょっと遺恨の存在感がなかなかすごくて、そういうのもあってジムとかプールなんだろうなと思います。わかってはいてもなかなか終わりに出来ないことを狂ったように身体を動かしたり、土砂降りの雨の中をがむしゃらに突き進むみたいな泳ぎ方をしてみたり、そうやって流そうと頑張っているわけです。

甘いことは濃く甘いままで、苦いことはプールの水で薄めるみたいにしていきながら小ざっぱりしていこ!と思います。

 

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今日の昼ごはん 牛乳パン、あずきパン、梨、唐揚げ、アイスコーヒー

ひとりでその時の気分で食べるごはん

バランスとか食べ合わせとか関係なくて自由で大好き