今からサラリ堂

ジムとプールと英語とごはん

祖母のこと。 自戒と甘えと

うし子です。

にゃー。

 

お盆ですね。


大好きな祖母が亡くなって3年が経ちます。
私はまだちゃんと泣けていません。
もしかしたらもうずっと泣くことはないのかもしれないし、もしかしたらをまだ受け止められていないのかもしれません。
悲しみとは別に祖母が亡くなって少しほっとしたそんな薄情で冷淡な心の内は認めるしかなく、あんなに優しいひとに育てられたのにどうしてこんなに欠落しているのだろうと自分を責めてみたり落ち込んでみたり。忸怩たる思いを抱えながら彷徨っています。


祖母は育ての親で私はとても祖母に可愛がられました。
まだ私が物心ついてない頃に父と母は離婚し、私は母親は亡くなったと聞かされていました。
とにかくひとり親にしてしまったと、不自由な思いをさせてはいけないと、家族みんながそういう気持ちでいたのだと思います。祖母だけではなく、父や祖父、叔父や叔母にも私は溺愛されて育ちました。


特に祖母、祖母は祖母でもあり母でもあり、
おばあちゃんが孫を娘として育てるわけで、ちょっと特別な甘やかしの中で私は成長しました。
正しくは、体は大きくなりましたが、精神は成長していませんでした。嫌なことからは目をそらし、なんでも祖母に任せっきりの毎日でした。


夫と結婚して息子が生まれ私は自分の家庭のことで手いっぱいで、離れて暮らす祖母には時折電話して無事を確認するだけで、ゆっくりおしゃべりをすることが次第に少なくなりました。


年に何度かの帰省も慌ただしく、帰り際はいつも寂しそうに次はいつになるのか、また来てねと何度も言う祖母のことを疎ましく思ってしまったり、寂しい思いをさせてることが後ろめたい様な気持ちになりました。


子育てと仕事、家事に追われて心に余裕がなく、段々と祖母との会話が億劫になっていましたが、
祖母の好きな食べ物や、洋服や身に付けるものを送って、忘れてないよ、元気でいてねと努めて連絡を取るようにしていました。それくらいはしなくちゃと思っていました。


毎日プールに通い、マスターズで何度も優勝し、お習字もずっと続け、大きな病気もせずいつもにこやかでお料理上手の祖母は私の自慢でした。上品で着物がよく似合い身の回りはきちんと片付け綺麗好きでお花を愛していて…主婦としても母としても完璧…私の目にはそう写っていました。


祖母には6人の子供、一番上の子と末っ子が男、間に4人の娘 がいて、長男が私の父です。
祖父が亡くなってからは私の父と一緒に暮らしていました。父の身の回りのことを甲斐甲斐しく世話し、いつも父のことを心配していました。


私の目には祖母と父はうまくやっているように見えていたし、娘たちと祖母は良い親子関係だとずっと思っていましたが、実際にはいろいろな確執があったようで祖母が歳を重ねていくごとになんとなくそういう雰囲気を感じるようになりました。
月並みなよくある親子関係・人間模様ですが、祖母のことをよく思ってない的な話を叔母たちから聞くのがとても嫌で、苦手で叔母たちもそれをわかっていて私の前ではなるべく言わないようにしていたところがありました。


95歳で亡くなるまで、祖母は身の回りのことも全て自分でやっていました。掃除も洗濯も食事作りも。
長らく骨粗鬆症からくる膝の痛みを抱えていましたが、自分の足で歩き誰の世話にもならず、私もそうありたいと感じる理想の姿でした。


亡くなる少し前に、父と離れて叔母と暮らすようになりました。
火の扱いが不安になってきたことや、嗅覚の衰えから食べものの管理が覚束なくなってきて食中毒の危険があること、お財布をなくしたり、膝の痛みが酷くなったりと少し心配な症状があるからと聞いていましたが、
実のところは老人性痴呆の一種でとても我儘になり怒ったり泣いたり感情のコントロールが難しくなってしまうことが突然始まるらしく、父も妹弟も祖母に翻弄されていました。
電話をかけると祖母は泣いて私に寂しさ辛さを訴えたり、自分が子どもたちに虐められてるようなことを言ったりすることもありました。叔母たちは祖母の我儘や子供っぽさに辟易している様子で、離れて暮らす私には何もしてあげられないジレンマがありました。それ以上に、いつ私と暮らしたいと言うのか、みんながそれを願っていて言い出せないでいることもわかっていましたが、私はそういう話題を避けていましたし、自分からは何も言い出さないでいました。


ある日突然祖母が倒れたと知らせがあり、その雰囲気からもうその時が近いことははっきりしていました。急遽帰省し、病院に駆けつけましたがもう意識はなく無表情で眠っている祖母の顔は私の知っている祖母とは別人のものでした。


父もその妹弟も全員が揃う病室は、悲しみと同じくらいの安堵に近い気持ちで満たされていて、この人たちはずっと辛かったんだな、これまでの愚痴や嫌味や不満や繰り言はほんの一角で、いろいろな問題や軋轢を抱えていたんだなと知るのに十分な、リアルな雰囲気が広がっていました。


祖母はそのまま目を覚ますことなく静かに息を引き取り、あっという間のことでその場にいた全員が何事もなかったかのように淡々といつもどおりでした。本当にいろんな意味で静かな最後でした。


身内を亡くした悲しみはもちろん全員にありましたが、父と妹弟たちからはもう祖母の我儘に悩まされることもなだめたり言い争ったりすることもないんだという緩和が伝わってきました。
私には、祖母を疎ましく思っている雰囲気を父や叔父叔母たちから、もう感じ取らずに済むほっとした気持ち、そして実はそういう嫌な面を見せられる原因となっている祖母を一番疎ましく感じている自分への嫌悪感から開放された安寧がありました。
葬儀の間誰もほとんど涙を見せず、
なんて正直な人の集まりなんだろうと感じていました。
そしてすぐに日常がやってきました。


今でも、買い物に行くとこれは祖母に似合いそうとか、これをプレゼントしたらきっと喜ぶだろうなと考えてしまいます。そのたびにああもう祖母はいないんだと新鮮にそのことを感じます。もう心配しなくていいんだとほっとしてしまう自分もいます。


祖母との別れができていないと感じること、涙も流さない薄情な自分、いつか大きな悲しみがやってくるのか、ずっとこのままなのか見当もつきませんが、
心の中の祖母はにっこりと懐かしい笑顔で優しく「いいのよそれで」と言っています。祖母は亡くなっても尚私を甘えさせてくれています。